イザベラ・バードの足跡を訪ねて…羽州街道秋田路

平成28年10月31日
旅した日:10月29日〜30日
移動手段:マイカー、一人旅
29日:秋田自動車道大曲IC下車⇒大仙市神宮寺へ
バードが歩いたのは明治11年(1878年)7月20日過ぎ、この年は大雨が続き毎日苦難の連続だったらしい。
 雄物川の架橋  雄物川の鮭の簗場


当時は川に橋など無く渡し舟か川渡人足によって担がれて渡るしかなかった時代です。ここの羽州街道雄物川の支流・玉川と雄物川の2ケ所も渡らなければならないので大変難儀したと有ります。今は立派な橋が架かり難なく渡れます。川には鮭の簗場もありました。当時の渡河の様子などは東海道五十三次の絵などに描いてあります。山本周五郎作の『雨あがる』という作品を見れば川止めや宿屋の様子が良く描かれています。

明治40年代の秋田港  現代の秋田港


バードはここで奇策を思いつき嫌がる船頭を口説いて、久保田(現秋田市)迄9時間かけて一気に川下りをしています。歩けば2日は掛かるだろうとも言っています。久保田では土崎港(現秋田港)の陽気なお祭りを見たり、秋田の医学専門学校を見学したり、旅に出て初めての洋食を食べたり楽しんだようです。


30日:宿泊先の森岳温泉から次の渡河場所の能代市二ツ井へ向かいました。途中、中世の山城『檜山城跡』を見学。

きみまち坂公園  恋文ポスト


二ツ井には『きみまち坂』というロマンチックな名まえの場所が有ります。これは明治14年明治天皇巡行の折、皇后が天皇の身を案じて出した手紙が天皇の到着より先に届いていたという逸話から名づけられたそうです。
この場所は米代川の渡河場があり、ここでも大雨で増水した川を命懸けで渡ったことが克明に描かれています。天皇が通った年には橋が架かっていたようです。きみまち坂は全国恋文大会など知られています。


更に羽州街道を北上し、鷹ノ巣の大太鼓を見学したり、青森県との県境の矢立峠まで車を走らせ帰路に付きました。
今回、走った距離は690km、高速料金3割引きで約6000円、ガソリン代4600円也でした。バードが歩いた道をハショッテ歩きましたが、当時は歩くか馬に乗るかしか移動手段がなかったのですから大変な苦労をしたのでしょうね。今まで栃木県の例幣使街道、福島県会津街道、越後街道、山形県の米沢街道、羽州街道等歩いてきました。
これから機会が有れば続きの青森県を歩いてみたいと
思っています。
それまで私のひ弱い心臓が止まらない事を祈ってます。