支倉常長の墓所巡り

平成28年2月11日

支倉常長の遺業については左記のパンフレットに書いてあります。今から400年前、太平洋⇒メキシコ⇒大西洋を渡りスペイン⇒ローマまで行き7年後日本に帰って来た遺業は驚くべきものが有ります。当時の随行員は約180人だったと有りますが、帰国した人は何人あったのかは不明です。去年スペインの『ハポン』姓を名乗る人達が石巻の復元船『サンファン・バウティスタ号』の展示会場へ親善訪問したと言うニュースが有りました。多分かなりの人達がスペインに残ったのでしょう。




墓所宮城県内に3ケ所有るとされています。今まで大郷町の『支倉常長メモリアルパーク』と川崎町の『円福寺』を訪ねてきました。最後の一つは仙台市の北山五山と云われる一画にある『光明寺』を今回訪ねました。同じ人の墓が3ケ所も有る事自体疑問なのですが…。光明寺墓所の説明書きはそのことに触れています。この墓が本物かどうかは不明と書いてありました。


宮城県内では『支倉常長』の他に江戸時代に石巻の廻船問屋・米澤屋の『若宮丸』の乗組員が大しけで福島沖からアリャーシャンまで漂流し、シベリヤからペテロスブルグ経由で世界一周した人達がいます。この時も帰国したのは4人だったと言われています。又シベリヤ・イルクツーク地方には残留した日本人の子孫が居るとか?。
困難を乗り越えて生きて帰った人達の遺業を訪ね歩く旅はなんか胸がドキドキしますね。
これからの若い人達には先人を見習い広く世界へ飛び出して活躍してもらいたいなぁーと思う次第です。