支倉常長の墓所を訪ねる旅

平成27年12月20日
 師走の忙しい時期、暇人の私は『支倉常長』の足跡を訪ねて宮城県川崎町の円福寺に行ってきました。


添付の写真は墓所脇にあった説明書と墓所円福寺の本殿前の根っこの彫り物とお寺の全景です。


 常長の墓所宮城県内に出生地の川崎町、縁戚の住んでいた大郷町、それに仙台の北山五山の3ケ所有ります。北山はまだ訪れていませんが、先に訪れた大郷町のメモリアルパークの説明にはキリシタンである事を理由に主君の命で表向き切腹したと有りましたが実は大郷の地に移り隠遁生活をしたと有りました。出生地の川崎町の説明文には凡そ400年前、石巻の月浦からスペインの宣教師達と一緒に太平洋を渡りメキシコに着き陸路大西洋に出て、スペインからローマへ行ったと有ります。そして7年の歳月を経て帰国したのですが徳川幕府鎖国令を出し、キリスト教は御禁制となっていました。主君の政宗も常長も時の運が悪く本懐を遂げることなくさぞ悔しかったことでしょう。常長は帰国後2年目に没したと有りました。


 人の運命は『時の運』も大きく拘わってきます。いくら努力しても報われない事も有ります。人生川の流れのように流れに任せることも必要かと思う此の頃です。
あ〜、それは私のような暇人が余生を送る場合ですから。
若い人は奮闘、努力を忘れずに!!!。