古希記念、Y大朝日岳に登る

平成25年10月9日
山に登った日:10月8日〜9日
メンバー:T&Y
コース&アプローチ:自宅am2;25出発→古寺鉱泉駐車場am5;10着
 10月8日 古寺鉱泉am5;25→大朝日避難小屋pm12;55着 登り約7時間30分
 10月9日 大朝日避難小屋am6;05→古寺鉱泉am10;55 下り約4時間50分

大朝日岳へは以前は毎年2回位登っていましたが、歳を重ねるたびに登るのが辛くなってきていました。
今回、Yの古希を記念して天気予報を見ながら挙行しました。
 大朝日岳山頂で

駐車場に着くと既に十数台の車が止まっています、半分は昨日登ったようですが残りは今日の出発です。
高齢の私供は早く歩けません、避難小屋が満室になると寝場所の確保が心配でした。ところが今日出発した人達は
全員日帰りのようです。以前は考えられなかったことなのですが、今は日帰り登山が主流になっているようです。
そのため私どもはゆっくりのんびり歩くことが出来ました。加えて朝日連峰の登山口は台風18号の被害で此の古寺鉱泉口のみが
直接車で入れる登山口となっているため、全体に登山者が減っていると管理人のAbeさんが言っていました。

古寺山から小朝日へ 熊越から馬の背へ  錦秋の小朝日岳  小朝日岳北壁  馬の背から大朝日岳

古希を過ぎたTと古希を迎えたY、ゆっくりのんびり只『シタムキ』に歩き続けました。私のエンジンも何とか快調に動いてくれました。天気は晴れ時々曇り、小朝日岳に登った頃は大朝日岳は雲の中、馬の背に着いた頃下山してきた登山者が山が良く見えるようになりましたよー。おぉー、運がいいなぁー。大朝日岳山頂から避難小屋まで良く見えます。小朝日岳を振り返るとこの世のものとは思えない絶景。あぁー、来た甲斐があったなぁーと暫し見惚れる。


銀玉水の水場で美味しい水を5リットル汲み、Yに2リットル背負って貰い先に行くよう伝え、私は残りの3リットルを背負い必死の思いで銀玉水の坂道を登る。ここまで来ると日帰り組みはほとんど下山し誰もいません。Yに遅れること20分、漸く大朝日避難小屋に着く。今夜の泊まりは今のところ2人りだけのようです。荷物を整理し直ぐ山頂へ。山頂へ着くと日帰り組の若者二人が未だ居ました。シャッターを押してもらい今日の最大の目的を完了、山はガスに包まれ何も見えなくなりました。


3時過ぎもう1人宿泊者が増えましたが合計3人の貸切状態です。管理人のAbeさんを交え山談義、4年前の12月末の遭難事故のレポートを読みいろいろ意見を交わす。遭難した方は30mの突風にあおられガンガラ沢に滑落したと有ります。
落ちた地点は小屋まで300mの大朝日神社奥社付近のようです。夏山なら小屋まで10分位の場所でした。
どうしてザイルで連結しなかったのだろうか?、どうして撤退しなかったのか?と単純な疑問を持ちましたが、報告書ではやはりそうすべきだったと有りました。一瞬にして若い尊い命が奪われた此の遭難、私供も事故の翌年の5月、彼ら山岳会の捜索活動を目の当たりにしていましたので大変興味深く報告書を拝見しました。管理人曰く、あの付近は遭難者が多く幽霊が出るのだと言う。
そこから100m位下った処に若い3人が遭難したプレートが打ちこんである大きな岩が有りました。表から見えなく管理人に教えてもらい帰りに確認しました。


又、私どもにも馴染みのある元管理人補助のSatさんのキノコ採りでの遭難騒ぎも大変興味深く聞きました。Satさん御本人は遭難したという認識は全くなかったようで家族が心配して捜索願いを出して大騒ぎになったと言っています。管理人のAbeさんも御酒を飲んだ後に連絡が入り大朝日の避難小屋から2時間で下山して捜索に加わり3日目に無事御本人を確認したそうです。ところがSatさんは時々一人でふらりとキノコ採りに出掛けることが有ったので此の人出は何だろうと思っていたそうです。
下山後、捜索隊には只ひたすら謝るばかりだったとか。
以後GPS付きの携帯を持たされ奥さんに厳重に管理されているそうです。


翌日は台風の接近で雨かと思ったら朝から山並みが良く見え快適に下山することが出来ました。
同宿の宇都宮から来た登山者(女性)はYと同じ古希だと言う、何時も一人で車を運転し日本中の山を歩いているという。
これには只驚きでした。下山も一緒になり『ゆったり館』で汗を流し、近くの『月山そば』屋で昼食をとり
お別れしましたが只々驚きでした。世の中まだまだ元気な方が沢山いるんですね! 
我々が二日間歩いた歩数は登り下りで4万歩でした、良く歩いたなー。宇都宮の女性を見習い又ガンバロウー!!!