コシヒカリを求めて越後へ

平成23年10月9日
Yの故郷、越後高田(上越市)へ『コシヒカリ』を求めて旅をして来ました。
予めYの兄に依頼して生産者から購入して貰っていたので、お墓参りを兼ねて二泊三日の『コシヒカリ』を求めての旅となりました。

10月7日、石巻三陸自動車道東北自動車道磐越自動車道北陸自動車道上越 
私の家は三陸自動車道石巻河南IC近くに有り直ぐ自動車道に乗り入れYの実家も北陸自動車道上越ICを下りると間もなくの所に有り、時間的には6〜7時間位で行くことが出来ます。高速道が無かった30年位前は12時間も掛っていましたから時間的には半分になり大変助かっています。加えて今回も罹災証明のお陰で片道9,200円の通行料が無料とあってお金の上でも大助かりでした。


左、ゲットしてきた『コシヒカリ』  中、刈り取った稲藁の乾燥に使ったハセカケ用のハンノキ群、今はコンバインで刈り取りモミは乾燥機で乾燥させるので使っていない。
右、近代的なコメの乾燥装置のカントリーエレベーター


10月8日、Yの通った小学校と中学校を観に朝の散歩に出掛ける。

左、Yが通った戸野目小学校です、中、正門の脇には二宮金次郎銅像が今でも残っていました。昔は何処の学校にも有ったのですが。右、旧津有中学校(現雄志中学校)学校の統廃合で校名が変わったそうですが同じ場所に建っていました。

兄夫婦の案内で地区の山手に有る『米と酒の謎蔵』を見学、帰路変わった看板が有りました。

此の施設は合併前の旧三和村と言うところに有り、山道をくねくね曲がりながら登って行き大変解りづらい処に有りました。この地のコメ作りの歴史や酒造りについてのミュージアムのようで美味しいお酒の試飲も有りましたがドライバーなので口惜しく眺めて帰りました。その帰路に左の看板が有りました。




越後高田は名だたる豪雪地帯ですので古い民家には雁木(雪避けのアーケード)が取り付けてあります。

左から2枚は雁木の有る風景  右から2枚目は現在の代表的な住宅で1階の部分がコンクリート製の車庫兼基礎となっていて高床式になっています。冬の雪対策で2階の居宅に入りやすいようになっています。又屋根も急勾配になっていて雪降ろしをしないで済む構造になっています。右端は屋外消火栓です、放水口が高い所に付いています。


兄夫婦に別れを告げ震災直後見舞いに訪れてくれた柏崎のStoさん宅を表敬訪問しました。Stoさんと息子さんとは昨年飯豊登山で一緒になりましたがニコニコと元気な顔で出迎えてくれました。息子さん、新潟県陸上競技の強化選手に選ばれているとか部活に専念しているようです。土産にサルナシのジャムと『コシヒカリ』10Kg、ピンクの雪割草(ミスミソウ)の鉢を頂いてきました。
この夜は日本海が見える米山の道の駅に有る宿に泊まり夕日を眺めながら美味しいお酒を頂きました。


10月9日、Yが栃尾の美術館に行きたいと言うので一般道を2時間掛けて山間の街・栃尾に立ち寄りました。現在は長岡市になっていますが此処は上杉謙信の生まれ故郷です。美術館脇には謙信の御廟も有りました。せっかく行ったのですが絵画の常設展はなく目的を達成できませんでした。美術館から旧市街地を通り北陸自動車道中之島見附ICへ向かいました。此処も豪雪地帯ですので街並みには雁木が連なっていましたが、シャッターが下りた店が多くすっかり寂れていました。IC近くには新しい商業施設が立ち並び全国どこでも見られる量販店が並んでいました。中之島見附ICから石巻まで休みながらも4時間半で到着、積んできた『コシヒカリ』11袋(1袋30Kg)を息子や親戚へ分配、今回の旅も無事終了しました。