悲しい別れ

平成23年9月18日
 東日本大震災から半年経ちました。当地では今数多くの葬儀・告別式が行われています。当地で発行されているローカル紙には片側一面全部に毎日のように訃報のお知らせが載っています。

 16日、O君の葬儀に出席する前に彼が亡くなった現場をもう一度見ておこうとYを誘い出掛けて来ました。

左、津波の爪跡もそのままの女川消防署(建物は海岸から100m位の位置に有ります)
右、同じく女川町役場庁舎(建物は海岸から500m位の高台にありますが3階屋上まで冠水)
彼は女川消防署の最高責任者として住民の避難誘導を確認した後、庁舎に戻ったところを大津波に襲われ屋上の鉄塔に登って押し寄せる津波に耐えていたそうですが引き波で流れてきた漁船が衝突し、力尽きて飲み込まれたと聞いています。

 何処の町もガレキの撤去は進んでいますが復興まではなかなか手つかずのようです。左、女川町でいち早く復興した水産加工場
右、女川町総合運動公園に建設中の3階建仮設住宅


 17日には津波に飲み込まれ亡くなった高校時代の同級生のお別れ会に出席してきました。多くの同級生に見送られてA君は黄泉の国へ旅立ちました。


 その夜、山友達のO君の通夜に出席するためYと山友達のQちゃんと出掛けました。O君の葬斎場は石巻の旧市街地に有る由緒あるお寺さんでした。通夜の帰り街中を歩いていると車道に水が溜まっていました。何だこれは?満潮時に当ったため街中まで海の水が上がってきたようです。街中は電灯もなくまさに『ゴーストタウン』でした。此の街を復興させることは並大抵のことではないなぁーと感じて来ました。

 18日はO君の葬儀・告別式に出席してきました。O君とは3月5日に蔵王に登り帰路、車中でお酒を飲み大いに盛り上がって又山登りしましょうとお話したばかりで、翌日、彼が所属していた消防音楽隊の演奏会を観に行きご苦労さんでしたと声を掛け別れました。まさか5日後に悲しい出来ごとに巻き込まれるとは思いもしませんでした。
悲しい別れが続く中残された者は復興に立ち上がって行かねばならないと思いを新たにしてきました、それが亡くなられた方々に対する供養になればと思っています。さて自分に出来る事は何が有るだろうか?9月末から臨時講師の仕事が再開されるようなので先ずはその仕事に精を出してみましょうか。