あれから5年

平成28年3月10日
 震災直後の日赤   現在の日赤


あの大震災から5年になります。テレビでは連日震災関連のニュースを伝えています。早いですね、もう5年も経ちました。私も歳を取り、皆も歳を取り次第に記憶が薄れていきます。添付の写真は我が家の北側にある石巻日赤病院です。当時北上川の水が逆流し、周辺が水浸しになって建物が水面に映っていますが、現在は5年前あった建物の北側に新しく救急医療センターと日赤高等看護学校が出来ています。


インフラの整備も進み、西側を走る三陸自動車道は4車線化され、此の日赤へ直接救急車が入れるように『石巻・女川IC』が新設されました。更に私が住んでいる地区と日赤の間の田圃が開発され復興住宅が立ち並んでいます。石巻地区で浸水被害の無かった私達の住む『蛇田地区』は大きく変貌しました。
我が家から南西方向に有る蛇田中学校の西側が市内最大の復興住宅地として開発され、今盛んに工事中です。公営アパートが十数棟すでに完成し、被災者が移り住んでいます。


復興住宅(アパート)への入居者は高齢者が多いようですから、20年、30年先にはどうなるのでしょうね。急いで立てては見たものの又その先の問題も発生してきます。今地方は特に被災地は人口流失が続いています。当石巻も震災前16万あったのが震災で約4千人亡くなり更に被災した人たちの転出が重なり現在は14万人まで減っています。人口問題は地方にとって最大の課題だと思います。


この様な問題は行政だけでは解決できないでしょうから地域住民も一緒になって考えて行かねばならないと思います。政治家は魅力ある街づくりなどとオブラートをかぶせたような言い方をしますが具体的に何をすべきか議論し実行してゆかねばならないのではないでしょうか。


人々が安心して暮らせるようまずは、働く場所、遊ぶ場所、勉強する場所、安心してお産の出来る病院の完備等いろいろあると思います。物事は出来る事から一つづつやって行かねばならないのではないかな? 
残念ですが、病院通いを仕事としている後期高齢者の私の出番は最早無いでしょう。
せめて再生してゆく街を夢見て往生したいですね。皆でガンバッペー!!!